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高知県高知市南万々35
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民家の研究 2017年09月05日
高知の山間部で活躍していた「長州大工」のルーツは「周防大島」の船大工だといわれています。
しかし、山口県出身の私から見ると、どうしても「長州=周防」に違和感がありました。
山口で聞き取り調査した中でも、高知の研究家の意見でも、
「周防から来た」と言っても、四国の人に理解されず、
四国の人たちが、周防→山口→長州で、「長州大工」と呼んだのじゃないかということでした。
それでも納得できなかったのは、土佐がほぼ同じ形で高知県となったのとは異なり、
同じ山口県でも、長州と周防では国が違ったはずだからです。
ここで、私の大きな勘違いがわかりました。
山口県は長州と周防が一つになったものと思っていましたが、
すでに「長州」が「長門」の国と「周防」の国が一つになったもので、
土佐≒高知県 と同じように 長州≒山口県 だったのです。
そして、「山口市」は「周防」の国だということでした。
元々は「周防」の国の方が「上国」であったようですが、
徳川家康が毛利元就に長州一国を任せたときに、
周防ではなく、長門に城を作るように命じ、萩に城を築いたことなどから、、
私が勘違いしてしまったように、「長州」と「長門」に同じ字が使われていることもあり、
徐々に「長門」≒「長州」となっていったようです。
そうして考えると、「周防」というのは大内氏の時代(1400年頃)に栄えた国です。
大内館を作ったり、国宝 瑠璃光寺の五重塔を作ったのも、周防の大工でした。
また、大内氏も毛利氏も、有名な水軍を抱えていましたから、
船大工の腕は擢んでたものがあったと考えられます。
その流れをくむ大工が四国にわたり、多くの建物を建築したのだと思います。
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