どうも。平社員です。
今回は、『松の家』。大きな松の木があった事からそう呼ばれていたとのこと。
『厨子二階』ってご存知でしょうか?
厨子(ずし・つし)二階とは、明治の終わり頃まで見られた建築様式で、
町人が武士を見下ろしてはいけない、大名行列を見下ろしてはいけない、という考え方に由来しています。
二階といっても、普通に立てない(頭打ちます。中腰が限界)くらいの天井高しかなく、
主な用途としては、使用人の寝室や物置に使われたそうです。
山間部などでは、元が茅葺屋根だったと考えられ、茅を乾燥させるために使われていた可能性があるとのこと。
今でいうところの『中二階』、というよりは平屋なので『小屋裏部屋』ですかね。
実は、現存している古民家ではこの様式が多く、あしすとの調査などで行くところは、ほぼあります。
と、前説はこのぐらいにして、まずはBEFOREから、
↑↑ BEFORE ↑↑
↓↓ AFTER ↓↓
そしてAFTER。
外観はいつも通り、どこを改修したのかわからないくらいの仕上がりです。
続いて、内部の改修部分。
ここのお宅では、ご主人の奥様がご自分でDIY改修をいくつかしており、ここもその一つです。
BEFOREでは窓の前に箪笥があり、左手に押入れの襖が見えます。これらをどかしてみると・・・
なんと、ちょっとした収納スペースがありました。
押入れは、壁から少し内側に建具枠を組んで後から作ったものだったんです。
この収納スペースは耐震上、どうしても壁にしなければならず、ご了承を得たのち・・・
壁として、仕上げさせて頂きました。
お次は外部。実は、内部と同じ場所、反対側の壁をやることになっていたのです。
BEFOREでぽっこりと飛び出ている部分、これが内部から取り出せる収納スペース、先程の部分なのです。
この部分に上下バッシリと合板を張らせて頂き(なんかこれだけで丈夫そう、ですよね)、
そして何事もなかったかのように・・・
トタンを張りなおしました。色合いが揃い過ぎてて写真だけじゃ施工部分がどこかわかりづらいくらいです。
最後に、
前説でも紹介した『厨子二階』についての写真をいくつか。
内部と外部、両方を施工した先程の和室の天井にはこんな蓋(?)がっ。
これが『厨子二階』の出し入れ口となっているのです。左手に見えるヒモを引っ張ると蓋が開く仕組みです。
この『厨子二階』がある部屋と、無い部屋の天井高を見比べてみると・・・
天井高さにかなり差があることがわかると思います。
なぜ、山間部など、武士もいなければ大名も通りそうにないところに『厨子二階』という武家社会の名残があるのか。
色々と謎なのですが・・・。個人的には、
「当時の流行りやった」とか
「便利やき」とか
そういう、ざっくりした感じが、高知には似合うと思います。
もちろんそれとは別に、長州大工の絡みもあったとは思いますが。
古民家の調査に行かせて頂いていると、
思わぬ歴史との邂逅があったり、大工さんのこだわりの小細工(いい意味で大味じゃない)があったり、
様々な発見があります。
もし、あなたの周りにむかーしから残ってる家があるなら、探索してみると楽しいかも知れませんよ?(もちろん、安全対策は万全に)